気持ちよく走ることの大切さを思い出したはなし
三浦しおんの「風が強く吹いている」を読んだ。
箱根駅伝を目指す青春物語だ。物語は走ることに魅入られた大学生二人を中心に進んでいく。この二人によって様々な人が次第に”走るということ”に巻き込まれていく。走ることとはなにか?強さとはなにか?。
読み終われば走り出したくなることは間違いない。なんとなく走っていた日常のジョグも一歩一歩を大切に噛みしめながら走りたくなる。
気持ちよく走ろう
こういうの読むとすぐ影響されちゃうんだよね。
主人公の走(かける)は名前からしてあれだが、とにかく走ることが好きな人間だ。陸上バカ、走ることさえできれば他はどうでもいいような男だ。
走りについて悩むこともあるが、基本的には気持ち良さそうに自分のペース(他の誰にもついていけないような世界)で走っている。
自分もこんな風に走れたらなあと。速いスピードで走るってことじゃなくて気持ちよく心から走りが楽しめたらと思う。
タイムと距離ばかり追っていた
そんなことを思うのも最近走るのが辛いのだ。
自転車や水泳はやっていて気持ちがいいし楽しいのだけど、走るのはどうも辛い。
たぶん理由はタイムと距離ばかり追っていたせいだろう。今日は何分ペースで走るとか、何キロ走るとかさ。
気持ちよく走ろう
走ることを楽しめるようにならないとダメだな、気持ちよく走ることを覚えよう。あるいは思い出そう。
タイムと距離を忘れて、ゆっくりとジョグをしてみた。
苦しくないスピードに調整する、気持ちのいい足の着地地点を探る、上半身の姿勢、アタマの位置、力を入れる加減、重心移動。カラダの中のあらゆる感覚に集中しながら気持ちよく走れるポイントを探す。
もともと走ることは得意だ。自然に気持ちのいいポイントをみつけることはできた。リズムをつかむバランスをつかむ、乱れると気持ちよくない。そして見つかればどこまでも走っていけるそんな感覚が訪れる。
これこれ。走る音が変わる「タン、タン、タン・・」と重そうだったのが「タッ、タッ、タッ」と小さく軽い音に。ちょっとペースを上げる、よっこらしょと上げていたのがスーッとギアがトップにかわる。
おー忘れていたこの気持ちよく走る感じ。
キロ3分ペースもゆっくりジョグの延長
そうだキロ3分で走るスピードもこの気持ちよくジョグをする感覚の延長線上にあるのではないだろうか。瞬間的に3分のペースは多くの人が出せるけど、5km、10km、20km、42kmと走り続けるには余計な力が入っていればどうしても疲れてしまう。気持ちよく無駄のない走りがジョグの時点でできていなければ、スピードを上げれば上げるほど走りはきつくなる。
当たり前のことなんだけど・・。気持ちよく走る=まともなフォームで走る。フォームの大切さを知らなかった。
水泳や自転車はいかんせん初心者だから自然とフォームをかなり意識してトレーニングしていた(フォームが改善されるとスピードも上がるし疲れなくなる)けど、走ることに関しては普通にできることだとフォームを意識することがなかった。
フォームを意識していなかったから、力ませの苦しい走りになっていたんだな。
苦しい走りなうえにタイムと距離を追っていたから、もう辛くてしょうがなかった(その辛さもある意味では好きだけど)。とにかく気持ちよく走れる感覚(フォーム)を大切にしてしばらくトレーニングをしてみよう。
おわり
本に影響されて気持ちよく走ってみたら、フォームが改善されてあぁよかったなという話でした。
マラソンってやっぱり苦しんで走るものじゃないんだなきっと。自分は21kmなら力任せで走りきるけど、フルマラソンになると失速していた。理由はフォームにあったな(確信)。